突然の解雇・・・両親にも言えず苦しい借金生活

社会人となって一年程度がたったある日、私は突然の解雇を言い渡されました。最近自社の経営が上手くいっていないことは聞いていましたが、宣告自体は本当に急なことだったので、いきなり目の前が真っ白になりました。
私の他にもクビになった人は何人もいましたが、自分だけの責任ではないとわかっても気が楽になることはなかったです。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • 山岸太郎
  • 男性
  • 28齢
  • 会社員
アコム、プロミス 73万円 2009年6月-現在

生活費を作るための仕事が見つからない

社会人となって一年程度がたったある日、私は突然の解雇を言い渡されました。最近自社の経営が上手くいっていないことは聞いていましたが、宣告自体は本当に急なことだったので、いきなり目の前が真っ白になりました。
私の他にもクビになった人は何人もいましたが、自分だけの責任ではないとわかっても気が楽になることはなかったです。

実家暮らしをしていた私の収入は、病気で働けなくなっている父とそれを支える母の生活費でもありました。
病院の通院費もあるし薬代もあるし、その収入がなくなったところで節約してどうこうなるようなものでもなく、なによりやっと前向きになってきている家族にそんなことはいえなくて、私は何とかクビになったことを隠しながらお金を作らなければなりませんでした。

最初は就職支援などのお金もありますし、ほんのわずかばかりの貯金も持っていたので、すぐに仕事を見つければ何とかなると思っていたのです。でも元々資格やスキルがなくて営業職についていた私には、自分を上手くアピールできるようなものもなく。会社をクビになったという経歴も影響しているのか、一ヶ月たっても正社員の仕事は見つかりませんでした。
だから私は、とりあえずアルバイトとして働こうと思ったのです。

アルバイトでの収入は、会社員と同じくらいの時間働いても十五万もいきません。半分ほどになった収入ではとても家族を養うことが出来ず、貯金がなくなったときに、私はお金を借りることを決断しなければなりませんでした。また正社員になれたら、きっと返せるはずとの考えで消費者金融に向かいました。

最初借りたのはプロミスです。ネットで調べて評判が良かったので選びました。
家族に知られるのが嫌だったので、わざわざ遠くの店舗まで足を伸ばして、十五万円借りました。借りたお金はそのまま家計を管理している母に渡しました。

金額もそう多くはなかったからか、簡単に貸してくれたのでこんなものかと思いました。月の返済額を少なくしてもらったので、すごく軽いもののように見えました。

母も父もお金に厳しいほうでもありませんでしたが浪費家でもなかったので、
消費者金融というのに接触したのもその時が初めてです。
ただ借金は恐ろしいもの、とにかくするべきではないという知識はありました。

ですからお金を借りる前に、何とかできないかと色々なことをしました。アルバイトの合間を縫って就職活動したり、もっとわりのいいアルバイトを探してみたり、ホストになろうか本気で悩んでみたりと色々です。
それで他に手段はないことがわかったので借りました。

参考サイト

借金があるのに毎月のお金も不足する

お金を借りるのが、一度では済まなかったからです。生活費のため借金だったので、毎月最初に借りたのと同じだけの金額が必要になりました。返済の分もありますからどんどんお金が足りなくなって、借金も増えていきました。

収入が増えれば借金をする必要も無くなり、ただ返済をするだけになると思っていたのに、収入はどうしても増えません。何十回と面接を受けても、どこの会社も私を雇ってはくれないのです。上を見すぎているのかもしれないと思って、ランクを下げてみたりもしましたが駄目でした。

アルバイトは毎日しているのにお金は足りないし、毎月同じだけのお金を母に求められるし、その度にお金を借りるしかありませんでした。借金があるのに何故お金を借りているのだろうと思いましたが、生活費を作れないので仕方がありません。私がお金を入れなければ、父は病気の治療もできないのです。
プロミスではお金を借りられなくなって、アコムでも借金をするようになってからは、本当に先が見えなくなりました。

家計を握っていたのは母親だったので、母親に借金のことを言えない以上、生活の上で節約してもらうことは出来ませんでした。
だから私は仕事で忙しいからと家で食事をしないようにして、その分の食費を減らしてもらって、特売の食パン一枚などを食事とするようになりました。

食べ物や服などの出費は減らせても、冠婚葬祭にかかるお金はどうしようもなかったので、断るだけではなくそもそも結婚式に呼ばれたりすることのないように、友達付き合いを疎遠にしていったりもしました。
知人のお見舞いもお祝いも、病気の父を理由に断り続けました。

退職でキャッシングにたより自転車操業の返済生活を続ける

長年IT系の会社で働いていましたが、会社の経営が悪くなり先行き不安になったことと、また経営不振で少ない人材で今まで以上の仕事をしなくてはいけない状況が続き、終わりのない過酷な業務でついに体を壊してしまったことで、26歳の時に自主退職に至りました。これは限界だと判断し駆け込む様な退職でしたので転職活動もしておらずほぼ無計画の退職でした。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • ニックネーム:しゅみ
  • 男性
  • 30
  • 会社員
ニコス 10万円 2009年8月

1年ほど無職が続き借金をすることに

長年IT系の会社で働いていましたが、会社の経営が悪くなり先行き不安になったことと、また経営不振で少ない人材で今まで以上の仕事をしなくてはいけない状況が続き、終わりのない過酷な業務でついに体を壊してしまったことで、26歳の時に自主退職に至りました。

これは限界だと判断し駆け込む様な退職でしたので転職活動もしておらずほぼ無計画の退職でした。
退職後は転職活動はしていたもの、トラウマの様なものができてしまったてなかなかなかなか転職活動に身が入らなかったのと、不景気でなかなか希望の仕事が採用されず1年ほど片手間にアルバイトもしていましたがほぼ無職、ニートの様な期間が続きました。

この無職期間の始めの半年程は、3ヶ月分の失業保険が出ていましたし、それなりに貯金もあり余り金銭的には不自由しませんでした。
ただその後の半年で問題が起きました。
私は当時、仕事を辞めてからも都内で一人暮らしを続けており、家賃、税金、食費、また実家においてある車のローンの支払いなどを合わせた生活費は月々15万円を超えていた記憶です。

この出費が原因で半年が過ぎちょうど無職1年たった頃に貯金が崩れ家賃や光熱費などの生活費が一部払えない状況に陥りました。
どうにかせしなければと考えましたが、家賃については滞納できそうな業者ではなく、親や知人に借りようかとも思いましたが恥じらいがあり躊躇しました。
そこで誰にも知られず迷惑も掛からないニコスのキャッシングでいこうという結論に至りました。

必要な額は生活費の一部の7万円でした。
まず最初に消費者金融を利用しようとしましたが、調べた所、定職に就いていないと審査が通らないという事で却下。
どうしようかと悩んでいたところ、以前に作ったニコスカードにキャッシング機能がある事に気づきこれが利用できるか試してみました。
結果、こちらはなんなく利用でき、切りよく10万円ほどニコスカードでキャッシングを行いました。

私はお金の管理にはルーズなところがありましたが、借金に対しては危険なので絶対に利用してはならない、恥じることというイメージが以前からありました。
これは借りる前も借りた後も、今でも同じく持っている感覚です。
ただやはりこういった感覚も生活費が無くなるという事態に陥った事で、多少なりとも麻痺していたのも事実です。

借金したことで精神的に苦しかった

借金をして一時的にその月の生活費は払えましたが、先送りになっただけで来月以降は生活費+借金返済という状況に陥り何ともいえない危機感に襲われました。
その時点では近所の飲食店でのアルバイト代5万円程度しか収入はなく返す当てもない、来月はどうするかで頭が一杯でした。
またこんなになるまでお金を管理していなかった、職探しやアルバイトに十分注力しなかった自分に情けなくなりました。

どうにかせねばととにかく出費を抑える方法と、収入を増やす方法を模索。
家を引っ越すとなるとまたお金もかかるので家賃自体はどうしようもなかったのですが、それ以外の出費を極力抑えました。実家の車のローンなどは親に泣きつきました。
アルバイトも相談しシフトを増やしてもらいなんとか収入アップに繋げました。
正社員の職が見つかるまでそこから3ヶ月ほど生活費確保+借金返済の自転車操業の様な日々が続き、金銭的にもそうですが精神的にかなり辛かったのを覚えています。

もともと無職になってからは贅沢な暮らしはしていませんでしたが、借金をしてからは完全に節約生活になりました。食事は回数自体を減らす事はしていませんが、出来るだけ安く作り置きが可能なものにしました。買い物はほぼ必需品のみで、欲しいものすら生まれませんでしたし贅沢品などは一切買っていませんでした。

交友関係は無職でしたので会社がらみの付き合いなどはもともとなかったのでさほど変わっていません。ただ家族や友人との交友だけは絶ってはいけないと思い、それについては割く様な事はしませんでした。(飲み会などでの出費はなるべく抑える様にしましたが)

浅はかな考えでダメ男とでき婚、プロミスから借金300万円

アルバイト先の先輩に付き合って3日目くらいでエッチを要求されました。私は戸惑いましたが大胆な人なんだと思い、それ以上に私の事を好きなんだと感じ許してしまいました。
そして、あっさり妊娠してしまいました。私は避妊は普通にしてくれているものと思っていたのですが、妊娠発覚後に先輩に聞いてみると避妊したら楽しめないという返事がかえってきました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • まさポン
  • 女性
  • 37歳
  • 専業主婦
プロミス 300万円 1997年5月

考えの甘さに対する大きな代償

私は当時短大に通っていました。卒業論文は無事に提出でき卒業に必要な単位は問題なくクリアできました。また、卒業後の就職先ですが、就職難といわれているなかで地元の企業に内定ももらえている状態でした。しかも卒業まであと半年ほどあるという時期に、卒業と就職というハードルを越えてしまっていた私にとっては卒業を待つだけという精神的に楽な状態だったと思います。

友人達はまだまだ卒業論文と就職先と忙しい状態だったので、一緒に遊んでくれる人がいるわけでもなく私は気ままにアルバイトをして日々を過ごしていました。そのアルバイト先である1人の男性と知り合いました。私よりも8つも上の人で見るからに頼れる男性という感じの先輩でした。バイトの仕事では色々フォローしてくれたりととても頼れる先輩で、性格は気さくで話しやすく私はすぐにその人に惹かれてしまいました。

私がいいなと感じ始めたころに、先輩の方から付き合ってほしいと告白され私は二つ返事でOKをし付き合う事になりました。付き合い始めてからは先輩は積極的になってきて、付き合って3日目くらいでエッチを要求されました。私は戸惑いましたが大胆な人なんだと思い、それ以上に私の事を好きなんだと感じ許してしまいました。

そして、あっさり妊娠してしまいました。私は避妊は普通にしてくれているものと思っていたのですが、妊娠発覚後に先輩に聞いてみると避妊したら楽しめないという返事がかえってきました。避妊も無しにエッチをすれば妊娠して当たり前です。
今考えると、28歳にもなってバイトしかしておらず、自分の欲求のままに避妊はしないと言い切るその男性は、普通に考えておかしいと気がつくべきでした。
ですが、当時の私はそういう考えの人なんだとしか思わなかったのが無知だったと改めて思います。

その後、親には猛反対されながらも半ば無理やりに私の短大卒業と同時に先輩と籍をいれることにしました。ですがお互いバイトのみの収入しかないため貯金もなく、出産費用はもちろん今後2人で生活する生活費すらない状態だったので、私が短大を卒業し2人で新しい生活を始めたころにお金を借りることにしました。

友人の就職先であるプロミスから150万円の借り入れ

出産と私達2人と赤ちゃんの生活費がどう工面してもまったく足りないという状態でしたが、反対を押し切っての結婚のため親には頼れませんでした。そんな時、短大の友人にちょうど金融会社に内定をもらった人がおり、友人が就職する先なら大丈夫だろいうという安心があり就職先であるプロミスで150万ほど借りることにしました。

借りた後は、生活費と出産費用といくら何に使うかをしっかりわけて管理しようと細かく使い道を決めました。

借りてしまった以上はとにかくしっかりした生活をして、早く借金を返さなくてはという気持ちにしかありませんでした。

借金に対してはさほど悪いイメージというものは持ってはいませんでした。ただ、借りたものはちゃんと返すことが当たり前という考えがあり、借金はしっかり計画的に速やかに返済しなくてはいけないというイメージをもっていました。

自分自身が働いていて一定の収入が毎月ある状態なら、その中からしっかり計画的に返済しようと動けるのですが、私自身妊娠して働けない状態で先輩のバイト代だけでどうやって返済していこうか、早く返済しないといけないのに返せていけるのだろうかという不安はかなりありました。

でもでもだってという言葉に流されて泥沼

短大は無事に卒業できて先輩と2人で生活するなかで、先輩の仕事にたいする考え方がすごく自分よりだと知りました。とにかく自分が辛くないシフトで仕事をするスタンスらしく、それは今後も変えられないと。変えるとストレスになって仕事をしたくなくなると先輩に言われました。

ですが、それではどうしても生活費は苦しくなります。借金した150万のうち70万程を出産費用にあて、2人で生活をスタートさせるための引越し費用や当面の生活費なので50万ほど使用。残り30万は、生活が軌道にのるまで足らない分を補う程度に使おうと考えていましたが、仕事を増やさない先輩のバイト代ではすぐに底をつきました。

なんとか先輩にもっとバイトを増やしてもらうか、もっと安定した会社に就職してもらうかしてもらうしかありません。お金がたらない理由を話し、今後どれだけ足らなくなるかをちゃんと説明すれば先輩は聞いてくれるのですが、シフトを増やそうよと言えば「でもそれだと俺のストレスが増えるから」や、就職先探そうよと言えば「だって、それだとバイトにいけなくなるし自由に仕事できないよ」とのらりくらりとはっきりせず、結局バイトは増やすことなく新しい就職先も探さないため生活はあっという間に苦しくなりました。私も強くいえばいいのですが、ちゃんと働いて優しい言葉をかけてくれる先輩にどうしても強気になれず、結局借金に頼る生活をつづける日々でした。

気がつけば初めて借金してから2年近くたち借金は300万にまで膨れ上がっていました。その頃は、精神的にもどうにかしなくちゃ、早く返さなきゃという思いばかりで安心できない毎日を送っていました。

切り詰めた生活を送りながらも、どうしても生活費がたらなくなったらまた借金をするという生活になりました。結婚して子供も無事にうまれて幸せだ、嬉しいなと感じることはありましたが目の前にある生活しなくてはいけないという現実はとてもひどいものだったと思います。

洋服や雑貨などの買い物は最低限子供優先に購入しました。化粧品などは購入をやめて洋服などは今までもっている洋服を着まわしして新しいものなどかえません。もちろん友人達とあってランチなんてもってのほかです。食事も子供優先に購入し自炊です。私や先輩が食べるものは特売や値切りひんなど近所のスーパーで安いものをひたすら探しました。

パン屋さんなどでは、パンの耳をただでもらえるお店が多くあるので、そんなお店をはしごしてパンの耳を集めて回りました。私の朝食はいつもパンの耳でした。ただただ貧しくてひもじい生活をしており、美味しいものが食べたいなとパンの耳をかじりながら考えていたことを良く覚えています。

子供がかわいそう…親の借金で我慢の連続…

IT系の企業に勤めていたのですが、降格されて給料が減ってしまいました。
車や家のリフォームをしたばかりなので、当てが外れた感じです。私も妻もプライドが高い方で、親への借金の経験はそれまでありませんでした。
特に厳しかったのが生活費用の倹約です。小学校前の子供がいるので食費を減らすわけにはいかず、食育のためにお金が結構掛かるのが苦しい生活の主な原因でした。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • キャベツ
  • 男性
  • 31歳
  • IT系会社員
レイク 30万円 2011年10月-現在

収入源からの苦しい借金生活

IT系の企業に勤めていたのですが、降格されて給料が減ってしまいました。
車や家のリフォームをしたばかりなので、当てが外れた感じです。私も妻もプライドが高い方で、親への借金の経験はそれまでありませんでした。
特に厳しかったのが生活費用の倹約です。小学校前の子供がいるので食費を減らすわけにはいかず、食育のためにお金が結構掛かるのが苦しい生活の主な原因でした。

そして、家賃も徐々に苦しくなってきました。アパート住まいだったのですが、駅から近い生活環境の良い部分を求めていたので、元から家賃が高かったのです。都内ではありませんが3LDKで10万近い家賃なので、かなりぎりぎりのジリ貧生活でした。

収入が減ったことで、交際費やエンターテイメントへの出費が減ったのは精神面でも影響がありました。
例えば、新作の映画を観るのを我慢したり、話題のゲームソフトを買わなかったりと、お金が足りない状況はストレス解消のはけ口を無くしてしまうことだと強く実感しました。

行楽のための費用も減ったので、家族のコミュニケーションの時間も減少し、何気ない会話のタイミングもよく掴めないようになってしまいました。
多方面での影響があり、給料が少なくなることは心理面でも生活面でも貧しくなってしまうと把握しました。
夫婦の離婚の危機も感じ、すぐにでもお金を用意して余裕のある生活をしたいと思うことが増加しました。生活の基礎となるお金の大事さを実感した出来事です。

レイクで30万円借りました。
借金経験はあったのですが、広告展開の多さが決め手になりました。

レイクでお金を借りたとしても、給料は変わらないので再びジリ貧になることは明白でした。
やや生活は自由になったものの、「副業を探して収入を増やさないと」という考えも浮かんできました。

余裕がないので散財は出来ず、借金しても気持ちの面では落ちこんだままでした。

借金する人はやお金にルーズな人だというイメージがありました。
また、周囲にお金にルーズな人がいたら付き合いたくないと思うでしょう。

レイクを利用したのは広告を一般的によく閲覧するからでしたが、やはり広告の量は影響しました。
お金を借りることで生活が向上するかなという淡い期待もあり、借金のための良いステップにはなりました。

あいかわらず苦しい生活でした

家計が苦しいのは変わりありませんでした。
自転車操業になってしまい、収入よりも支出が多いという月も多くありました。
普段の生活の中で、自分らしい楽しめないのはやはり辛いことでした。
ファッション面での影響も高く、特に妻が「服を買うお金もないのはいやだ」と言い始めてケンカになったこともありました。

ファッションは人のイメージ作りにもかなり影響します。特に、いつも同じ服を着ているのは恥ずかしいと思うのもしょうが無いことです。
服を買えない状態は私の責任なので、家族への申し訳ない気持ちを抱えたまま毎日を生活するという苦しい生活でした。

普段の生活を向上させていくためには、借金はやはり難しい点です。
子供のための教育など、減らすことの出来ない部分はやはり意識しました。
お給料が足りない分、貯蓄から回した部分もあります。特に学習塾など、将来に関わる部分での出費は致し方ない部分だと思います。
子供にストレスを与えないために、気苦労が続きました。

激安スーパーを利用したり、なるべく交友費を浮かせるためにお酒を飲まなくなりました。
お酒は趣味でもあったので、かなり残念な部分でした。

そのほかにも、例えば要らなくなった服をネットオークションで売ったり、家にあるDVDやCDを売却したり、出来る工夫は全て行いました。
給料が減らされた分、妻にもアルバイトで頑張ってもらいました。
さすがにお水関係やキャバクラには出せないので、コンビニやスーパーでのアルバイトなどでした。

失業してアットローンで借金を抱えてしまったシングルマザー

2007年の夏ごろに、それまで私が勤めていた職場でもある病院が、ある医療問題によって経営が立ち行かなくなってしまい、閉鎖してしまうことになったんです。
それまで、師業だったこともあり自分の家族を養って生活するだけでの余裕のある収入を得ることができていたんですが、それが一気になくなってしまう結果に。
もちろん、突然の倒産に近い状態だったので退職金なども出るわけがなく、新しい就職先を見つけて収入を確保するまでの間、なんとか生活費を捻出する必要があったんです。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • ポン子
  • 女性
  • 48歳
  • 保健師
アットローン 60万円 2007年9月

勤めていた職場が閉鎖。次の就職までの生活費が必要になって借金。

2007年の夏ごろに、それまで私が勤めていた職場でもある病院が、ある医療問題によって経営が立ち行かなくなってしまい、閉鎖してしまうことになったんです。
それまで、師業だったこともあり自分の家族を養って生活するだけでの余裕のある収入を得ることができていたんですが、それが一気になくなってしまう結果に。
もちろん、突然の倒産に近い状態だったので退職金なども出るわけがなく、新しい就職先を見つけて収入を確保するまでの間、なんとか生活費を捻出する必要があったんです。


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借金する10年ほど前に夫とも離婚をしたので、現在ではシングルマザーだった私には、当事、高校生になる娘がいたんです。
子供が私立の学校に通っていたこともあり、結構な金額の学費なども支払う必要もありましたし、お小遣いもあげる必要もあります。
ただ、子供にはできるだけ心配や負担をかけさせたくなかったですし、アルバイトをさせて学業に影響が出るなんてこともしたくはなかったので、今までどおりの生活を送らせてあげるためにも、一時的な生活費を捻出するつもりで、結局、借金することに決めたんです。

ただ、以前、一度借金で苦しい思いをしたことがあるので、できるだけ少ない金額で負担のない形で利用するように決めた結果、新たな職場を見つけるまでの生活費に充てる金額だけを借りることになりました。
最初は親族や友人にも借りようと思っていたことはあるんですが、シングルマザーで借金まで頼ってしまうという後ろめたさがあったのか、あるいはプライドがそれを許さなかったのか、結局、銀行のローンを使うことにきめました。

CMなどで見かけていたアットローンで借金

給与の振込みなどにも使っていた三井住友銀行のアットローンというサービスがあるのを、以前からCMやダイレクトメールで見知っていたので、よく引き出しなどで利用している自宅近くの支店で借金の申し込みをすることになりました。
借りる金額は、当面の生活費に充てる予定の60万円という金額です。

この金額の根拠は、私のそれまでの月収が手取りで30万円ほどだったので、その2か月分に当たる金額という意味でこの金額にきめました。

本当は、最初100万円ほど借りるつもりだったんですが、以前、別れた夫が作った借金で本当に苦しい体験をしてしまっていたので、自分が無理なく返済できる金額に抑えようと思い、この金額になりました。
正直なところ、借金はもう二度と利用したくなかったので、後悔する気持ちを持ちながらの今回の借金でした。

借金に対しては、正直なところ、いい思いは一切ありません。
以前から苦しい思いをしていたので、お金は現物だけを利用するという思いを貫いてきたので。

ただ、大切な子供のためにも今回だけは仕方なく、借金することに決めましたが、実際に申し込みをして審査がおり、希望した金額が目の前に出されるその瞬間まで、「やはり辞めておいたほうが。」という思いと葛藤していましたし、借金するときにもそれが表に表れていたようで、店員さんにも心配されたほどなんです。

借金後は、就職先を探す毎日と生活を切り詰めるスタイルに。

結局、借金をした後も、できるだけ子供にはそれが悟られないように努力する生活になりました。
というのは、子供には以前の職場を退職したことを一切話していなかったんです。
話して心配をかけたり、アルバイトすると言い出すことを防ぐためだったんですが、子供に悟られないようにするために結構辛い努力もたくさんしました。
食事メニューや子供へのお小遣いは以前どおり提供していたんですが、それをするために、別の面で極力出費を抑えたり努力していましたね。

特に辛かったのが、就職先を探す努力と節約を同時にしなくてはいけない点でした。
節約といっても、私にできるのは、安い食材を購入したり、電気代を抑えたりという形が精一杯。

特に、安い食材を購入しようとなると、時間的にも条件があったりするので、就職活動とかねると結構大変だったんです。それでも、なんとか時間のやりくりをして、就職活動しながら食材を安く購入して、子供には悟られないように毎日、今までと同じような形で家事をこなして、という形で生活を送っていました。
そんな生活を送らなくてはいけなくなったのも、早く借金の返済額を稼がなくてはいけないという焦りがあったことに尽きます。

借金後の生活面で一番変わったのは、やはり、食事面でしょうか。
子供に悟られたくなかったので、メニュー構成や数字体は減らすことができません。
なので、たとえば、以前までであれば鶏肉のもも肉を使っていたメニューを、より安い胸肉に切り替えたり、ハンバーグを作るときも牛肉の量を減らしてお豆腐やお麩や野菜を入れて嵩を増したりと、できるだけ食費を節約できる努力をしたり、お風呂も、それまでは毎日湯船を張っていたのを、3日に一回の交換に切り替えたりと、日々の節約で出費を抑える努力をしていましたが、子供にいつ知られるかどうかと心配で尽きなかったのを、今でも覚えています。

妻が勝手に借金!浪費癖がひどい妻に苦しめられた借金生活

借金をゼロにできる

診断はこちら

妻とは2003年、社内恋愛の末に結婚しました。その2年ほど前から付き合い始め、結婚をしたわけですが、付き合っていた頃から少し派手めな性格は承知いていました。エステ、ショッピング、食事。月に20万円は使っていたそうです。
それもそのはず、自分で稼いだ給料が30万円以上あるわけですから、自由に使えます。実家で生活をしていたのも、余計に拍車をかけたかもしれません。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • リバウンダー
  • 男性
  • 38歳
  • 会社員
ニコス、DC、VISA、モビット 200万円 2003年12月ごろ

妻のエステ代にびっくりしました

妻とは2003年、社内恋愛の末に結婚しました。その2年ほど前から付き合い始め、結婚をしたわけですが、付き合っていた頃から少し派手めな性格は承知いていました。エステ、ショッピング、食事。月に20万円は使っていたそうです。
それもそのはず、自分で稼いだ給料が30万円以上あるわけですから、自由に使えます。実家で生活をしていたのも、余計に拍車をかけたかもしれません。

それが結婚をしても止まらなかったです。友達と食事にはしょっちゅう出かけ、エステにも付き合うし、スポーツクラブ、飲み会など、毎日のように出かけていました。
仕事を辞めていましたので、暇だったんでしょう。ちなみに私の給料は月に40万円程度。また、クレジットの利用も半端なく、毎月10万円を超える金額が請求されていました。
そんな性格なので、家計のやりくりなんてできませんでした。まさかそこまでとは思っていませんでしたが、全然気にすることなく借りていました。突き詰めると、実家に帰るなんて喚くし、そこで話し合い、一帯は利用をやめるのですが、数週間経つとまた始まるのです。

彼女は寂しくて使ってしまうと言っていましたが、明らかに浪費グセがあるのです。
バッグ、衣服、食事、すべてクレジットカードで支払い、そのうち足りなくなると、自分で勝手にカードを作っていました。それが借金に輪をかけました。いつか見た請求書は20万円を超えていたのです。これはまずいと思っていましたが、止まることはありませんでした。

そのうち、エステに通い始め、友人に誘われたと言っていましたが、明らかに自分から行ったのです。そこで、会員となるために50万以上をクレジットカードを作り、支払ってしまったのです。
当然、支払いはきますが、妻は隠していました。それが明らかになったのは次の月でした。自宅に督促状らしきものがあったのです。妻が留守中に郵便が届き、その中に督促状が混じっていたのです。それを発見したときはもう呆れました。私に黙って勝手にクレジットカードを作り、借金をしているなんて。

彼女は、全然悪びれた様子もなく、平気で借りているようでした。いつか追及してやろうと思っていましたが、そのうちに実家に勝手に帰ってしまいました。話し合いを持とうと実家に行きましたが、全然会えずじまい。
彼女の家族も、そんな感じだったので、ショックでした。多分、自分の娘が浪費をしていたのはわかっていたかもしれません。もうショックでショックで立ち直ることができませんでした。

毎月毎月、返済の日々が・・・

残ったのは彼女の残した借金だけでした。離婚はしませんでしたが、呆れてもう何も言うことができませんでした。とにかく、もうクレジットカードは利用しないよう、念を押しました。私の口座から引き落としされるカードを利用しないよう、きつく言い聞かせました。電話で。
毎月毎月、彼女の借りた分の借金を返し始めました。すると、知らないところからだんだんと請求書が。合計すると200万円くらいになったでしょうか。びっくりしました。

すべて金利が高い借金ばかりで、返済できなくなると思い、取りまとめローンに切り替え、分割払いにしました。月々の返済を減らし、なんとか返済をしました。自分ひとりの生活なので、なんとか切り詰め、返済を続けました。食事もご飯に納豆など、そんな生活が続きました。外出もせず、たまの散歩のみ。車も乗らず、歩き。ほとんど、お金を使うこともなくなり。全く生活は変わってしまいました。その時に、彼女からも彼女の実家からも何も言ってきませんでした。私は、自分の実家には黙っていましたが、それも自分のまいた種と思い、我慢しました。

毎日の生活が、たった一人の生活になり、借金に追われる日々に。最初は督促状なども目にしましたが、すべてまとめたローンにし、返済をしたためにそれもなくなり。自分の中では、車1台を買ったと思い、諦めました。その後も彼女は戻りませんでしたが、じぶんひとりの生活もいいなと思い。
そんな生活を4、5年続けたと思いました。彼女とは今でも離婚はしていませんが、協議離婚をする予定です。風の噂では、別の男性と同棲しているという話も。

離婚後、帝王切開の費用や子育ての費用で繰り返した借金。

私は今から6年前、オリックス銀行カードローンを利用して借金をしていました。借金をした理由なのですが、出産費用が足りなくなったからです。出産の時には、私は元旦那とすでに離婚していました。だから、お金に余裕はほとんどありませんでした。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • 香織
  • 女性
  • 29歳
  • 会社員(事務)
オリックス銀行カードローン 27万円 開始:2008年6月

出産の時に帝王切開になってしまい借金

私は今から6年前、オリックス銀行カードローンを利用して借金をしていました。借金をした理由なのですが、出産費用が足りなくなったからです。出産の時には、私は元旦那とすでに離婚していました。だから、お金に余裕はほとんどありませんでした。でも、出産をするのに必要な金額は健康保険から十分支給されるので、それほど心配はしていなかったんです。

ところが、出産に関してある問題が起きてしまいました。それは、私の体の問題です。私の体は胎盤が部分的に子宮を塞いでいて産道が狭くなっていると言われてしまったんです。このまま経膣分娩だと赤ちゃんが産道を通れない可能性が高く、さらに赤ちゃんより先に胎盤がはがれて大変危険とのこと。この問題を解決するには、帝王切開で出産するのが一番だと言われたのです。

いろいろな不安があってどうしようか迷いましたが、赤ちゃんと私が安全なのは帝王切開しかないんだと言い聞かせて先生に帝王切開の意思を伝えたのです。そして帝王切開をしてもらって、出産が無事に終了。母子ともに健康でしたし、出産も麻酔のおかげでとても楽でした。赤ちゃんを見てとても幸せを感じました。

ただ、帝王切開をしたことによって費用が通常の金額以上にかかってしまって健康保険で賄えなくなってしまったんです。帝王切開の費用のおかげで17万円ほど足りなくなりました。このお金を作るために、オリックス銀行カードローンで借金をすることになったのです。

私がお金を借りたところはオリックス銀行カードローンです。選んだ理由なのですが、銀行のカードローンなので安心感が高かったことが一番です。金利とかもそれほど高くなさそうでしたし、月々の返済金額が借り入れ30万円までなら7000円というのも魅力でした。

審査に無事通過してお金がかりれた時には、とてもスムーズだったのでお金を借りることは意外と簡単なんだと思いました。

出産するまでは借金というものをしたこともなかったですし、またあまり良いイメージももっていなかったです。でも、利用してみて非常に助かりましたし、いずれ返済するのだから計画的に利用すれば味方になってくれるものだと思うようになりました。
でも、次第に借金に慣れていって、その便利さに甘えるようになっていきました。

出産後の生活も借金を重ねて苦しくなりました

帝王切開による出産で17万円ほど借金をしました。月々の返済は残高スライドリボルビング方式で月々7000円の支払いだけだったので、そんなに苦労するとは思っていませんでした。ところが、私の場合は母乳がほとんど出なかったのでミルク代がかかったり、オムツ代、おしり拭き、シャンプー、離乳食、衣類、おもちゃ代などで結構なお金がかかりました。さらに仕事復帰するまで事情があって4ヶ月かかり、産後のために多少は残しておいたお金もそこをついてしまったんです。それによって、生活費の足りない分をまたカードローンで借りることにしたのです。

毎月の生活はギリギリ、その状態での返済額は7000円でも重たいものでした。収入の少ない私では、これ以上お金を借りることができなくなって毎月月末はヒヤヒヤものでした。赤ちゃんの面倒を見ながら、仕事をして、しかも借金でギリギリの生活を強いられたことでこの時は苦痛がピークに。精神的におかしくなりそうでした。

借金をして、生活がギリギリになってからはできる限りお金を使わない生活をするようになりました。贅沢はせず、食べるものも1日に1食にしました。電気、水道、ガスなどの光熱費も限りなく抑え、大好きなお酒やタバコも一切やめました。売れる物も全て売りました。それもこれも私の赤ちゃんのためです。施設で育った私はある程度辛い状況に慣れていましたが、自分の赤ちゃんのためでなかったら、この生活に耐えられなかったと思います。

幼いころの借金地獄体験、実際にある借金取立ての恐怖

僕の父親の話なのですが、以前はとある田舎町で運送会社をひっそりと経営していました。
僕自身もそこでよく遊んでいたりしていて、東京にも一緒に連れていってもらったこともありました。しかし、人の良い父は急に近寄ってきた人親しくなって、その人とよく行動するようになりました。それからいつしか、いつも毎朝会社に向かう父が突然会社に行かなくなってしまったのです。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • がりっち
  • 男性
  • 33歳
  • フリーランサー
闇金1件 1000万円 およそ20年ほど前

借金取りに怯える日々から、一からのスタート

それからでした。今まではお願いしたら何でも買ってくれていた両親は、急に冷たくなって何も買ってくれないどころか急に僕らに怒るようになっていました。そして僕らの家にはいつもその道の方々が家に押し寄せるようになりました。まるで昔のVシネマのような感じそのままです。

まずピンポーンと玄関から音が鳴るのですが誰も出ないので僕が出ようとすると、母に止められました。どういうことかよくわからなかったのですが、それからしばらくして玄関のドアはドンドンと大きな音を立てていました。

そしてやがてそのドンドンは大きくなっていき、そのうち「出てこいや!」とか「おるの分かっとんや!」などと外で叫ぶ声がして、いたたまれなくなった母が玄関を開けて帰って下さいと言うと、その人達は無理やり玄関に入ってきて僕の父親の名前を呼びつけます。

父は奥の部屋に布団にくるまった状態で隠れていました。そしてその二人は絶え間なく「出てこい!」「お前ここおるやろ!」「金返せやコラ!」などと連呼します。そしてやはり母が「もう分かりましたから帰って下さい!」と言っても「お前んとこがウチから金借りとんやないかい!」という風に全く聞く様子もありません。

そんなやり取りをしているといつも決まって隣の人が警察に通報してくれるのです。
警察署は割と家から近かったこともあり、すぐに来てくれるので今にして思うと立地面で助かっていたのだと思います。こんなやり取りが10回ほどあって、僕らはいよいよその町から夜逃げすることになりました。

どこに行くのかも知らされていなかった僕らは、不安な気持ちの反面両親と一緒なので変な安心感はありました。そしてそこで一からのスタートを始めました。そこでの生活の約半年間は、今までの生活の中でも両親と長くいることが出来た貴重な時間だったため、一番充実した時代だったのかもしれません。

借金地獄・夜逃げ人生の終焉

ある日、父が母の両親に頼みこんで借金を工面もらって借金地獄・夜逃げ人生に終焉を迎えました。そして母の実家でしばらく住むようになりました。きっと母の両親は、僕らに辛い思いをさせないために各方面からお金を集めてくれたのだと思います。

本当に借金絡みの2年間は何かに怯えるような、大変で地獄のような日々でした。もうこんな人生は嫌だと思い、今の僕は例え友人でもお金を借りることが出来ません。

リストラされ生活費のために楽天カードのキャッシングを利用

今から8年前、私は害虫駆除の仕事に就いていました。とくにシロアリ駆除を専門に、いろいろなところへ行っていました。人の助けになる仕事でしたし、やりがいもあって自分にとっては天職かなと思っていたんです。
ところが私の会社でも不況の波が押し寄せていて、仕事が一気に減ったんです。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • 啓太
  • 男性
  • 37歳
  • 害虫駆除業者→印刷業
楽天銀カードのキャッシング 90万円 2006年3月

リストラされてクレジットカードのキャッシングを利用

今から8年前、私は害虫駆除の仕事に就いていました。とくにシロアリ駆除を専門に、いろいろなところへ行っていました。人の助けになる仕事でしたし、やりがいもあって自分にとっては天職かなと思っていたんです。

ところが私の会社でも不況の波が押し寄せていて、仕事が一気に減ったんです。それによって会社では希望退職者を募るようになったのです。私としてはこのまま働きたかったので、希望退職はしなかったのですが、他の人もほとんど退職しなかったために会社がリストラをしてきたんです。その対象者として私が選ばれてしまったのです。会社のため、そして苦しんでいる家のために頑張ってきたのに、あっさりとクビにする会社に大きなショックを受けました。

会社都合のクビだったので、しばらく失業保険は出ました。だから、失業保険のお金が出ている間には次の仕事が決まると思って焦りはありませんでした。ところが、職業安定所に行って仕事を探してもほとんど正社員の仕事はなし。ここにも不況の影響が大きく反映されていたのです。そしてついに失業保険も打ち切られてまったくお金が無くなりました。

楽天カードのキャッシングで借り入れ

この状況にはさすがに危機感を感じて、アルバイトでもいいから仕事を探すことを決意。その間をしのぐために以前から利用していたクレジットカードのキャッシング機能を利用して、借金をしたのです。この時は、あらかじめクレジットカードのキャッシング機能をつけておいてよかったと思いました。

私が利用していたクレジットカードは楽天カードです。このカードでキャッシング機能をつけていたので、とりあえず15万円ほど借りました。とにかく、アルバイトでも何でもいいから働きさえすれば利息もたいしたことないしすぐに返済できるだろうと思っていました。でも、実際にはなかなか仕事が見つからずに借金を重ねて焦っていきました。

借金に対しては、できればしたくないものだと思っていました。利息もあるし、返済が苦しいイメージがあったからです。でも、仕方のない状況だったので借りました。借りてみると、すんなり現金を手にすることができるので助かりましたね。
ただ、借りた後のイメージとしてはやはりイメージ通り苦しいものだということを思い知らされました。

借金で大幅に変わった生活

借金をする前にはそのうちに仕事が見つかるだろうと思っていたのですが、その考えが甘いことを知りました。正社員で、それなりの給料を求めていたらまったく見つかりませんでした。そのうちに失業保険が打ち切られてお金が底をついて借金をすることに。このままではいけないと考えを改めて条件を緩和して改めて仕事を探したのですがそれでも見つからず。あらためて不況を実感することになりました。

相変わらず無職の状態が続き初回に15万円だけ借りた借金が、次の月に15万円、さらに15万円とどんどん借りて増え続けた結果、最終的に総額が90万円にまでなってしまったんです。この金額は、私の楽天カードでのキャッシング枠の限度額でした。つまり、これ以上は借金ができない状態にまで行ってしまったのです。ほかの消費者金融にも申込みをしようと電話したのですが、すべて断られました。理由は無職だから。この時は本当に人生終わったと思ってひどく落ち込みました。

私の生活は借金ともに大幅に変わりました。それまでは外に出るのが好きで、友人と休日は遊びに行ったり、飲みに行ったり、旅行に行ったり、パチンコしたり、ゴルフしたりと結構活動的でした。ところが借金をしてからというもの、めっきりそういった人生の娯楽をすることはありませんでした。そして、次第に外に外出に行くことが就活以外はいっさいなくなって、一歩間違うと引きこもりのような生活になってしまったのです。とても暗い日々が続きました。